戦後、日本人の食生活が変化した背景が丁寧に解説されている。今一度、自分自身の食生活も見直してみたい。
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印象に残った点や意識しておきたいと感じた点を以下の通り纏めます。引用と主観が混ざっている個人の感想である点にはご留意下さればと思います。
・戦後日本人の食生活が急速に欧米化した裏にはアメリカの存在があった。
・アメリカは昭和二十年代、小麦、トウモロコシ、大豆等の農作物の過剰生産、在庫が深刻化し国家財政を圧迫していた。
・その膨大な余剰農産物のはけ口として標的にされたのが日本であった。
・日本政府は明治の時代からパン食を推進していたのだ。その最大の動機は、脚気の治療、予防であった。
・PL480タイトルⅡをめぐる日米交渉。
・恒常的な外貨不足に悩んでいた日本は、輸入食糧を米から、より安価な小麦へと転換すべく粉食を推奨していた。
・アメリカさん小麦は、製麺・歌詞用のセミ・ハード系であり、パン用のハード系の小麦は、品質・輸送コストで優位であったカナダにほぼ独占されていた。
・貧乏人は麦を食え。
・アメリカの国家戦略によってわれわれ日本人の食生活が変えさせられたというのは言い過ぎだろう。
・厚生省は伝統的な日本型食生活よりも欧米流栄養学に基づく食生活こそ望ましいと考え、「栄養改善運動」に熱心に取り組んだ。成功した裏には、アメリカの日本に対する周到な農産物売り込み構成があった。これを一般に「アメリカ小麦戦略」という。
・欧米流の栄養学が細田原活用され栄養学校で教育され、欧米流食生活が望ましいと繰り返し国民は啓蒙された。
・栄養改善運動に要した膨大な活動資金の多くはアメリカから出ているのである。
・学童のうちからアメリカ農産物の味に親しんでもらえば、その子供は長くアメリカの顧客になってくれる。
・キッチンカーは栄養改善運動のかなめとなった。
・日本の食品メーカーも競って洋食材料の宣伝の場としてこのキッチンカーを活用した。
・畜産農家の育成にもアメリカは力を入れた。
・当時の政府も栄養関係者も、このアメリカからの資金提供を歓迎した。
・脚気論争、主食論争の二つの論争はアメリカ小麦戦略と共に戦後の食生活のあり方や栄養学の成り立ちを考える時、どうしても知っておかなければならないことである。
・米不足が理由にならなくなると、パン食の栄養学的優位性が強調される指導が積極的に行われるようになった。
・魚介類を除くすべての食材は元を正せば供給元はアメリカで、その後押しがあればこその栄養改善運動であった。
・欧米型食生活が近代的で望ましいという食生活近代化論が主流となり、食の近代化を急ぎたい日本側の行こうとアメリカの戦略が見事に合致した共同作戦であった。
・ヨーロッパで生まれた栄養学はヨーロッパ人の体質にあったもの。
・牛乳が良くないというデータは意図的に隠されている。
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